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コラム

1894年4月28日:リバプールとユナイテッドがライバルになった日

  • 2014.03.15 Sat 20:56
リバプールとマンチェスター・ユナイテッドは、初対戦からライバルと運命付けられていた。それはおよそ120年前のテストマッチ、リバプールがユナイテッド―当時はニュートン・ヒース―を2-0で破り実質的に降格させた時まで遡る。

LiverpoolECHO - A rivalry is born: The day Liverpool relegated Manchester United 13th Mar 2014




April 28, 1894
Liverpool 2-0 Newton Heath (Gordon, Bradshaw)


2部を優勝したリバプールと1部の最下位ニュートン・ヒース、どちらがトップリーグでプレーするか、試合は2チームにとって昇格・降格プレーオフの役割を効果的に果たした。

正に効果的だった。リバプールにとっては自動的に1部昇格するのに優勝は十分ではなく、代わりにフットボールリーグによって選ばれる必要があったのだ。

開始30分までに入ったパトリック・ゴードンとハリー・ブラッドショウによる2ゴールは、リーグの抱えるジレンマに拍車をかけた―結局はリーグはリバプールに有利な投票をすることになるが。

リバプール・エコーによれば、中立の会場として選ばれたイーウッドパークに「互いに強力なサポーター集団を送った。」また、レッズ―そうだ、当時のチームカラーはライトブルーとホワイトだった―はハイタウン(※マージーサイド州の北方)で試合に向けた特別な準備に取りかかった。

リバプールはいいスタートを切った。リバプール・マーキュリー紙、後のリバプール・デイリー・ポスト紙は、試合自体はコメントに値しないと感じたのだが、それは「リバプールはあらゆる点でニュートン・ヒースを相当上回っていることを示した」からだ。

マーキュリー紙はこう続けている。「正直に述べて、リバプールはかなり相手を手玉に取っていた。ニュートン・ヒースは試合のどの時間帯も自信なさげに、あるいは勝ち目がなさそうにプレーしていた、自分たちがボールを持っている時でさえ。」

それは意外ではなかった。リバプールは22勝6分、2位のスモール・ヒース(現バーミンガム・シティ)に8ポイント差をつけて無敗でディビジョン2を制したのだ。

対象的に、ニュートン・ヒースは好成績とは程遠かった。30試合してたった6勝、ダーウェンFCに5ポイント離されディビジョン1の最下位に終わっていた。

右の外側からゴードンが決めた1点目、小柄だが逞しいダンカン・マクリーンの強力な一発をヘディングで押し込んだのは前半20分のことだった。

その10分後、ジョン・フォールの守るゴールに襲いかかりリバプールは2-0にスコアを進める。ブラッドショウはノースウィッチ・ヴィクトリアFCから移籍し10得点をあげた良好なファーストシーズンに花を添えた。

リバプール・エコーはこの様子を、「リバプールは巧みなコンビネーションで駆け上がりいくつか良いシュートをお見舞いするも、フォールにうまく防がれてしまう。しかし右サイドと中央でスマートにパスを回すと、ブラッドショウが低い弾道のシュートを放ちフォールは敗れたのだった。」と報じている。

ユナイテッドも息を吹き返したが、アンドリュー・ハンナーとマクリーンの二人が上手く立ち回り2得点での勝利を見届けた。「リバプールのハーフ(※=ハーフバック:MFのこと)たちは見事に好ゲームを演じて見せた。」とエコーは続けた。

マーキュリー紙は戦術面に注目している。「試合はほぼ30分、リバプールのフォワードが賢く組織立ったフットボールで2点を確保した時に落ち着いてしまった。」

「2得点はヒースの選手たちの牙―例えボールを持っていようが―を抜くのにこの上なく効いた。ヒースのフォワードはマッカートニー、マクエー、マクブライドらリバプールの優秀なハーフバックを前になす術がなかった。」とマーキュリー紙は続けた。

マーキュリー紙は特定の選手を選ぼうとはしなかったが、マクブライド、ブラッドショウ、ゴードンのパフォーマンス、そして後者2人の「マンチェスターのチームの失墜をもたらした価値あるプレー」について言及している。

「金曜のサウスポートの海水浴場の喧騒でほとんど掻き消されてしまった(他の選手の活躍で霞んでしまった)」が、「チャンスを最大限に活用した」ヒュー・マックイーンも称賛に値する。しかし死にかけた彼の体験について詳しい情報は腹立たしいほど少ない。

シーズン終了に伴い、マーキュリー紙はそのシーズンがいかに「 チーム、監督共に信頼と祝福以外ふさわしくない」か、監督が選手起用と指導に優れていたかを記している。

さらに「チームが成し遂げたのは国中に興味と好奇心を掻き立てた事であり、それによってシーズン最も人気を博したクラブとなった。」と述べた。

試合は、マンチェスター運河が建設された事を巡り2つの都市が緊張状態となった年に行われている。(※マンチェスター運河ができたのがこの1894年だった) リバプール市による建設への抗議のため、運河の建設計画を許可するために必要な法律が1885年まで得られなかったのだ。

もしこれが都市間の対抗心の始まりだとしたら、これが二つのフットボールクラブのライバル意識の始まりとみなせるだろう。この二つの側面が複雑に絡み合っているのは偶然ではない。

最初の軍配はリバプールに上がった。しかし、それ以来両者には何度も互いに流れを引き寄せる機会が生まれている。

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