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コラム

What went wrong? 輝きを失ったトーレス

  • 2013.12.30 Mon 11:00
6年以上も前にフェルナンド・トーレスがイングランドにやってきた時、このスペイン人は間違いなくこの星で最も恐ろしいゴールスコアラーだった。だが怪我や自信の喪失によって、今や歴史上最悪レベルの移籍となっている。これから我々は、彼がいつ輝きを失ったのか明らかする。

By Peter Fraser What went wrong? - Sky Sports 28th Dec 2013




フェルナンド・トーレスに何が起こったのか、それはフットボール界最大の謎だ。2007年から2010年までリバプールで華々しく活躍していたトーレスは、恐らく世界で最も恐るべきストライカーだった。プレミアリーグ仕様のスピードとパワーを彼は兼ね備えていた。しかし現在チェルシーでの彼は、もはや "not good enough" とみなされている。

"not good enough" はスカイスポーツのギャリー・ネビルの言葉であり、スコアレスドローに終わったアーセナル戦におけるトーレスの精彩を欠いたパフォーマンスをしてチェルシーのFW陣を指したものだ。2013年、チェルシーのストライカーたちはリーグ戦で一度もアウェイゴールを決めていない。それは注目すべき数字だが、ここ3,4年間調子を落としているトーレスを表した数字でもある。日曜のリバプールとの再会を前に、2012年のFA杯決勝を含めた過去6試合で彼は未だその古巣クラブから得点をあげていない。

2007年夏、24歳の時に2650万ポンドでアトレティコからリバプールにやってきたトーレスはプレミアリーグを急襲する。華々しいデビューを飾った07/08シーズンは33試合に出場し24ものゴールを決め続けた。その年の終わりにはEURO2008決勝で母国スペインにタイトルをもたらすゴールも決めている。またリバプールにとっては95/96シーズンのロビー・ファウラー以来のシーズン20ゴール。すべての大会で計33ゴールを決め、マンチェスター・Uのルート・ファン・ニステルローイが打ち立てた記録を抜いて、デビューの年にイングランドフットボールの歴史上もっとも多くのゴールを決めた外国人プレーヤーとなった。この活躍をもってしてスティーヴン・ジェラードは07年12月にこう述べている。「フェルナンドはたくさん称賛されてるけど正にその通りだよ。ここまでイングランドのフットボールに馴染むとは驚きだね。それに彼のプレーは脅威だ。外国から来る選手にとってイングランドのフットボールに慣れるのは簡単じゃない。でも今フェルナンドは既に何年もプレーしてきたみたいに見える。」




けれども、33試合はトーレスがリバプールで1シーズンにプレーした試合の最も多い数字だ。彼は07年10月に鼠蹊部に問題を抱え、08年2月にはハムストリングを負傷した。しかしそれはこれから起こる出来事の前兆にすぎなかった。

ハムストリングのケガは08/09シーズンに入ってもトーレスを悩ませた。トーレスは8月、10月、11月にそれぞれ一度しかプレーしていない。09年に出版した自伝でトーレスは当時のことをこう述べている。「怪我は本当に大きな痛手だった。一度目のケガは普通のことだと思い気にせず歩み続ける。二度目になると一旦立ち止まり前、より気になってなぜ起きたのかと自分に問いかけるようになる。そして三度目で完全に歩みは止まり、根本的な原因を調べ始めて、二度と起こらないようにと躍起になるんだ。僕の場合は問題がとても大きかった。なにせ問題の箇所はハムストリングだったからね。加速力とスピードをもたらしてくれるその筋肉は僕には不可欠なんだ。」

トーレスは09年の3月にも足首のケガでリーグ戦を2試合欠場している。しかしより大きな悩みは、スピードを奪うハムストリングの怪我だった。これは特にトーレスには関係の深い問題だ。ディフェンダーの後ろにボールを出し、スピードを爆発させて追いかける。ゴールチャンスを作り出すために、彼は常にシュート精度を補って余りある自身の身体能力に頼ってきた。そのことはトーレスのシュート精度の数字が強調してくれる。彼がイングランドに来てからの4シーズンで最高の数字は09/10シーズンの50.79%だ。しかしこの数字はロメロ・ルカクやセルヒオ・アグエロ、コップの新しいアイドルであるルイス・スアレスよりも劣っている。彼らの誇るシュート精度はすべて60%以上である。

トーレスのアトレティコでの6年間で筋肉系の怪我がわずか1回だったことを考えれば、悪化するハムストリングの怪我もまた心配だ。そのことはこんな議論まで呼んだ。ひょっとすると、プロスポーツ選手として非常にバランスが取れていた生理機能と代謝がわずかに変化し、それにフィジカル的な側面が増したプレミアリーグでのプレーが相まって、彼を恐ろしい選手足らしめていた特徴のもと20代中盤になったことで身体にガタがきたのではないか、と。これは元リバプールのストライカー、マイケル・オーウェンで奇妙にもお馴染みになった話だ。

トーレスの怪我の問題とは裏腹に、08/09シーズンのリバプールは首位のマンチェスター・Uまで4ポイントに迫る2位となりプレミアリーグになってから最良のシーズンを送っていた。ジェラードとトーレスのパートナーシップを含む人々の良い記憶とは相反し、リバプールのスターストライカーは彼がアンフィールドでフルに過ごした3シーズンで最悪の年を送った。08/09シーズン、トーレスは24試合で14ゴールをあげた。しかし平均して123.79分に1ゴールであり、シュート精度は43.06%までダウン。ゴールにつながったシュートは20%にも満たなかった(ブロックされたものは除く)。




09/10シーズン、トーレスは腹部の痛みを患い11月から12月にかけて1か月以上は離脱するとみられていたが、ハムストリングの怪我の方は克服したように見えた。けれどもこれには犠牲を払ったようだった。彼はぶり返す右膝の軟骨の問題に耐えなければならなかったのだ。この怪我は一度目は1月に、二度目は4月に手術を必要とした。この膝の怪我はハムストリングをかばおうとした結果だろうか。4月の手術でトーレスは一足に先にシーズンを終わらせた。

09/10シーズンのトーレスは、数字上ではいまだゴール前で最も恐ろしい存在だった。リーグ戦22試合で18ゴール。平均して95.28分に1点をあげ、シュート精度は50%超、そしてゴールになったシュートは彼の最高値である28.57%。しかし、大いにしかし、かの素晴らしいパフォーマンスが見られたのは1月の最初の手術の前までだった。手術から戻ってきた彼は残りのシーズンでリーグ戦わずか6ゴールに留まっている。トーレスは4月の2回目の膝の手術の後も同様に苦戦した。その後彼は回復しW杯には間に合ったが、大会で大本命だったスペイン代表入りするために急いで復帰したという噂にさいなまれ、大会で7試合に出場し無得点に終わった。さらに悪いことに、トーレスはオランダとの決勝戦で別の鼠蹊部の怪我を患い、3週間のリハビリを余儀なくされた。

トーレスが膝の手術中、リバプールも同じように悪い時期を送った。チームはリーグを7位で終え、UEFAチャンピオンズリーグからも早々に敗退、シーズン終了後には監督のラファ・ベニテスも去った。しかしこれらの出来事も、ファンによるクラブのアメリカ人オーナー:トム・ヒックスとジョージ・ジレットと数百万ポンドの借金に対するピッチ外の悪感情に飲み込まれていった。これがトーレスの不満についての憶測を雪だるま式に増やしたのだ。

W杯決勝の怪我から回復し、トーレスは10/11シーズンのスタートに合わせて調整してきた。そしてアーセナルが相手の開幕戦に74分から途中出場。その後リバプールで23試合に出場し、うち22試合は先発出場した。けれども、トーレスはリバプールのピッチ内外における苦戦に我慢ならないようだった一方、ゴールネットを揺らしたのもわずかに9回と膝の怪我を負う前とは別人に見えた。それがアンフィールドでの彼の最後のシーズンとなった。新たなオーナーとなったフェンウェイ・スポーツ・グループ(FSG)が10年6月にリバプールの引き取りを完了し、命運尽きたベニテスの後任のロイ・ホジソンもケニー・ダルグリッシュに取って代わったのが11年1月のこと。しかしトーレスはそれでもなお移籍を志願し、同1月に空前の5000万ポンドでチェルシーへと移籍した。

トーレスの移籍は多くのリバプールファンを激怒させた。ファンは、常にクラブへのコミットメントや彼らの存在価値を語っていた選手によって失望させられたのだ。リバプールファンはトーレスの移籍に裏切られたと感じ、それらの感情と共にわずかな怒りの矛先をどんな凍てついた心の信念も傷つける方向に向けた。これがトーレスの調子を落としているなんてことはあるのだろうか。トーレスは当時、そして今も、ベストなパフォーマンスをするためにメンタルもベストにしなければならない状態だ。彼には愛が必要なのだろう。


彼がチェルシーに加入した時は27歳だった。不名誉にもトーレスはもがき続けている。10/11シーズン後半、彼が決めたゴールは4月のウェスト・ハム戦の1点だけだった。恐らくこのレベルの調査では、彼はプレミアリーグで最も高額な移籍とリバプールファンの怒りがスランプを招いたと考えるだろうか。チェルシーとリバプールの二つのクラブで過ごした10/11はトーレスがイングランドに来て以来最低の成績で幕を下ろした。過去3年よりも多いリーグ戦37試合に出場したがゴールを決めたのは10回、平均して265.8分に1回だ。またゴールになったシュートはたったの13.33%。もちろんこの落ち込み様は一時の不調と言うには程遠く、14年1月には30歳になるが、チェルシーで先発出場したリーグ64試合で決めたのはわずか17ゴールだ。昨シーズン彼はチェルシーで23得点したが、うちリーグ戦は8ゴールのみである。

興味深いことに、トーレスの筋肉系の怪我はそれほど過去の事とではないにもかからずチェルシーでは頻度が落ちている。このことはトレーニングプログラムによるものだろう。少なくとも見たところでは彼の筋量は増している。だがしかし、彼のプレースタイルにおいて意図的にダイナミックさを減らし、筋肉を守るために止まったプレーを取り入れた事も起因しているはずだ。彼は単に2010年の膝の手術で機敏さを失い、ゴールゲッターとしての怖さもなくなったとも言われている。




トーレスはチェルシーで過ごしている。それは彼がCLとFA杯、ELを制覇したチームの一員であると考えるといくらか控えめな表現だ。同じ時期に彼と彼のチームメイトは、5人の監督と変わり続ける戦術に適応できるか試されもした。今シーズンは10月のCLのシャルケ戦とリーグでのマンチェスター・シティ戦において、昔の選手を再認識するというジョゼ・モウリーニョのひらめきもあった。その上トーレスはスペインがイタリアを4-0で下しヨーロッパのタイトルを防衛した決勝戦で再びゴールネットを揺らし、EURO2012の得点王としてゴールデンブーツを獲得した。しかしスペインは例外であり、07年にイングランドにやってきた時と同じ恐ろしさは明らかにない。

トーレスの怪我すべて、特にハムストリングの怪我を代価として彼の特徴と自信は衰えていった。けれども、08/09シーズンのハムストリングの悩みを克服し数字上は彼の最高のシーズンとなった09/10シーズンの様子が、筋肉系の怪我が彼の転落の主たる原因ではなかったことを示唆している。彼はリバプールを離れたから自信の喪失したんだ、という意見も一理ある。しかし10/11シーズン前半、リバプールを去る前の彼の不調もまたその可能性が小さいことを示している。

トーレスのゴールゲッターとしての素晴らしさが失われた事における真の要点は、間違いなく2010年の2回に及ぶ膝の手術だ。膝はフットボーラーの第二の心臓である。ひとたび悪くなればそれは終焉の始まりだ。トーレスは最初のひざの手術までにリーグ72試合で50ゴールと驚異的な記録を残した。それ以降、彼は125試合に出場し哀れにも32得点にとどまっている。悲しいかなトーレスにとって、そしてかつて彼のワールドクラスの得点力と生まれ持った力、そして素晴らしさを目の当たりにしたすべての人々にとって、あらゆる数字がすべてを物語っている。もう30になろうかという時に、全盛期だったかつての彼が戻ってくることはもはやないだろう。

Translated by 皐月 @No8_is_No1

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カテゴリ:コラム

コラム

逆三角形:現実が理想に追いついた日

  • 2013.12.17 Tue 15:20



プレミアリーグの風物詩とも言える12月の過密日程。その出ばなを見事にくじかれてしまったリバプールだが、気がつけば4戦3勝。4試合であげた得点は15に及び、得点数でリーグトップを独走するマンチェスター・シティの13点をも凌駕してみせた。その中でも特筆すべきは5-0で圧勝したアウェイのトッテナム戦である。

12月に入ってからリバプールはスタリッジを怪我で失い、戦力に数えられるFWがスアレス一人になっていた。それまではSASが攻撃のほぼすべてを担っており、片腕をもがれたも同然のリバプールはあっけなく格下のハル・シティに敗戦する。

この時ロジャース監督が採った戦術は両サイドにサイドアタッカーを置いた4-2-3-1だった。この采配は見事に外れた。ドリブルでのしかけを信条とするサイドアタッカー二人は、前線でボールを受けられないとみると自陣まで戻りパスを要求した。ゴールとかけ離れた場所でボールを持つドリブラーなど誰が怖がろう。両サイドはまったく機能せず、試合はポゼッションで相手を上回りながらシュート数で劣るという無惨な結果で幕を閉じた。

ここでの問題点は、前回のコラムで書いたような4-2-3-1の2列目に求められる役割をこなせる選手がおらず、真逆の適正を持った選手を配置してしまったことだ。2列目が機能しなかったためファイナルサードまでボールが来ない。そのことに痺れを切らしたスアレスが中盤まで下がって来て強引なプレーでボールを失うシーンが目立った。

その後の2戦も4-2-3-1が採用されたが、コウチーニョが正式に復帰したこととスアレスがたった一人で相手を蹂躙したことで無事勝利を収めている。しかし明確な攻撃の形は見えず、スタリッジのみならずジェラードの負傷離脱もあり12月後半に待ち受けるトッテナム、マンチェスター・シティ、チェルシーとの対戦に不安は募るばかりだった。

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スパーズ戦における各選手の動き方

そして迎えた12月15日、ホワイトハートレーンで見せたリバプールのパフォーマンスは、今までのそれとは一線を画していた。中盤以降はジェラードの代わりにルーカスがスタメン入りした以外は前節と同じ。しかしこの日はルーカス一人がアンカーの位置に構え、アレンとヘンダーソンが高めでプレーする中盤逆三角形のフォーメーションだったのだ。縦横無尽に動くスアレスを"軸"にコウチーニョとヘンダーソン、スターリングとアレンらが頻繁にポジションを替え、スパーズの守備陣をかく乱した。そしてポゼッション56%、シュート数21と数字上でも相手を上回った。

この中盤の逆三角が機能したのは、流動的な位置取りをするスアレスに適切な距離感で各選手が絡むことができたからだ。これまでの4-2-3-1ではボランチを二人置くので、必然的にスアレスの周りに居られる人数が3人になっていた。さらにサイドアタッカー起用した時にはいよいよ選手間の距離が開き、スアレスの行動範囲を無駄遣いしていた。けれども、今回スアレスの周りには両サイドと高めに位置するMF二人の計4人もいたのだ。

しかし、単に前線の人数を増やしただけでは守備が疎かになり、そもそも攻撃に転じることすら難しくなる。そこのバランスを上手く取ったのがヘンダーソンとアレンだ。両者とも広範囲を動きながら50本以上のパスをつなぎ、ボールロストはわずか5回、7回と非常に優秀なキープ力、パス成功率(共に90%超)をあげている。またアレンは8タックル(チーム最多)、2インターセプトと高い位置でボールを奪い危機を未然に防いだ。ヘンダーソンもリカバリーが9とアレンとは違った形で貢献している。

正確なパスとキープ力、前線との連携、高い位置からの守備貢献。この二人のプレーこそ、就任当初のロジャースが理想に掲げていた4-3-3の中盤に求められるプレーだ。そう、1年と4ヶ月経ってようやくロジャースの目指すフットボールが体現できるチームになってきたのだ。昨季の後半にはロングボールが増えてカウンターサッカーに傾いた時期もあった。選手層の薄さに喘いで3-5-2に切り替えた頃もあった。しかしようやくロジャースの努力が実を結んだのだ。これはつまりロジャースの指導方針が去年の夏からブレていなかったことを意味している。

この後はまだしばらくスタリッジ不在によるスアレスの1トップが続くので、形になり始めたこの戦い方は維持されるだろう。そして1月に適切な補強をしスタイルの成熟とチームとしての完成度を高めていくことになるはずだ。その後スタリッジやジェラードが戻って来た時には「2トップにするのか、SASのどちらかをサイドにまわすのか」、「ジェラードの代わりに中盤の誰を下げるか」など嬉しい悩みも出てくるだろう。

多少の浮き沈みはこの先も大いにある—まずは目の前にシティ戦、チェルシー戦が控えている。しかしリバプールは、そしてリバプールファンは希望を持ってシーズン後半戦に入ることができるはずだ。そう、ブレンダン・ロジャースと共に。

Written by 皐月 @No8_is_No1

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